ヘスティアの姿

〝自叙伝〟ヘスティアの姿

まだありそうだけど

小2の記憶

と言う名の幻想

 

まだありそうだけど

また、思い出したら

ツド書こっと

 

ここまで書いてて

嬉しい変化があった

 

グレたおしてた私は

過去を全て黒くぬりつぶした

親や世間や外のせいにしてた。

この数年の

波のよう還るプチ悟りの境地には

外に原因はなく全て私の宇宙(内)の投影の世界

 

とは

言ってても

人間だもの

頭に意識がイクわけだから

通常状態は肉なんだわさ

アイされてなかった

と捉えてた思いを

直ぐに変えることはできなかったんだね〜

頭では、わかってても

フッに落ちてなかったコトに気づいた

 

それに

数年前にお母さんが亡くなった時に

ショックが大きすぎたのか

記憶がなくなってしまってたから

お母さんの顔や思い出も全てなくなってた。

写真をみても、他人をみるように感情が動かなかった。

 

それが

急激にもどってきてる

い〜感じでもどってきてるー(嬉)

 

 

まだあるのか!小2の過去と言う名の幻想

そうそう

優しくされると惚れてまう性分

 

Sキャラのゲロキモ男子に

いつもけなされてたのに

優しい言葉(今思うと普通の言葉)を一度かけられたら

 

好きになっちゃった

💌ラブレター書いて渡したら

みんないるところで

ぼろんかすんに言われた。

 

駄菓子屋のレジに置いてあった50円玉を友達と2人で盗んで、とっつかまって叱られたり。

(感動的に優しく叱ってくれた覚えがある)

友達と2人でひょうたん盗んでバレて叱られたり

(これまた、感動的に叱ってくれて、盗もうとしたひょうたんは、くれた)

宇宙人の姉の貯金箱からちょっとずつ

10円玉盗んじゃ〜お菓子を買ってたら

いい加減バレて

当分喧嘩をするたびに〝泥棒〟と呼ばれた(悲)

 

ここまでふりかえり

やっぱバカだな〜ってwww

小2は色々あったな〜www

10円ハゲ的なものがいくつかできてたのもこの頃

小3のはじめぐらいまであった記憶が

顔やらなんやら小さいイボがいくつかできて、コンプレックスだったな〜

イボコロリっていうのを塗ったりして

ハゲには赤色の軟膏を塗ったりして

あれ?結構お母さん

私の事を考えててくれてたんだね

 

程なくして

イボを取りに皮膚科へ

ピンセットの様なもので生ちぎり!!!

ギャーーー!

傷が治るまで

ご飯食べるのに口がかけれなかった。

 

なんでかんからないけど

その頃はおかしかったな〜(気チガイ)

股が痒くて(YのVの所らへん)

ずっとかいてたのを

宇宙人の姉は、いまだに笑い飛ばしてくる

 

ちっ

私の悲劇をわらいとばしてくれて

有難う

 

そして

私も人の悲劇を平気でわらいとばす人だよ♬♪

 

 

今日

宇宙人の姉と話してたら

小2の頃の話をもちだしてきた

感謝

このブログを書いてるのは知らないんだけど

流石は宇宙人鼻が効く

(宇宙人については、後ほど書こう)

 

小2の頃

友達と

〝ミニ便せん〟

〝香りのするペン〟

を交換しようって話をしてた。

 

普段でさえ

時間割もあわせない

忘れ物の帝王の私は

いつもいつも約束が守れないでいた

顔をあわせると思い出すのにwぬけてる

忘れちゃうってのもあるけど

お金がないってのもあったから

時だけが過ぎていった。

 

そんなある日

親戚の誰かに

1000円をもらった。

ペンを買おう!

その次の日朝の登校

黄色い帽子の中に1000円を隠して

分団をぬけて

姉に忘れ物をしたからとりにいってくると伝えて

走り出した。

600メートルぐらいもどって

程なく行った所にある文房具屋さん

朝早いからシャッターがしまってた。

シャッターをガンガンガンガン叩きながら

大きな声で「すいませ〜ん」と呼びつづけた

シャッターが開いた

店のおじさんが開けてくれた。

10色の香りペンを買って

なぜかお菓子も買って

来た道を戻った。

途中草むらに隠れてお菓子を食べて

学校に向かって歩き出すと

先生が車で探しに来てくれたみたい

車に乗って学校へ

友達と交換した。

 

その夜

ペンを交換した子とそのこのお母さんが

うちに来た。

うちちは、いつも遅くまで両親はいないから

姉が対応してくれてたみたいw今日知った。

ペンを交換した子のお母さんは

怒ってたんだって

こうゆう事は、困る!って

それに、親がこんな時間までいないなんておかしいし、最近子どもの帰りが遅いのも困るって

そんな時間まで遊ぶなんて!って

 

姉は、親代りしてくれてたのか〜

ケツをふいてくれてたんだね〜すまぬ

 

分団に来ていた

お母さんがたには

「ちゃんと、靴下ぐらいはかせなさいよ!」って

ことも言われてたんだって

 

前ならかたじけないーーー迷惑かけたな〜って

自己嫌悪だったけど

 

今日は、捉え方が違った

 

内心

お〜有難う〜

このタイミングすご!

ちょうどこのブログ小2のじゃん♬♪

この出来事忘れてたーーーw

と思った

 

ぎゃはははー

 

 

小2

小1の記憶はなく

そりゃ〜無いんだから

気づかないよね

 

小2は自分でも狂ってた

男子の前でズボン下げて一瞬だけど

みせたりして

喜んでくれるからという思い

 

砂遊びをして家に帰ったら

机の上のノートに髪をワサワサして

砂がなくなるまでずっとしてた

ずーっと手鏡を見てた、鏡の中の世界に夢中だった

手鏡を顔に近づけて、目が合うとドキっとするほど

恐ろしかった

だから鏡の中の自分は本当は私じゃないんじゃないかって

鏡の世界へ逃げて行きたかった。

小2では夢遊病がひどく、窓あけてパジャマのままでていこうとしたり

机の下でオシッコしようとしたりと

記憶がないまま行動する事が度々あった。

その頃は、両親は鉄工所を経営してたから

朝早くから夜遅くまで家には居なかった。

 

当たり前だと思ってたけど

参観日に来てくれたのは、1回だけだったんだよね〜

プリントもテストも時間割も説教も何もない

ご飯はひどい時は、1週間前の臭くて黄色いご飯

ご飯は、黄色いものだとも思ってた。

家では、主にフルーツと野菜を食べてた

肉も魚もごはんもラーメンもパスタも嫌いだった。

あっでも鶏肉(皮は無理)とパンは、好きだったか

あと、お菓子

 

毎日パンやフルーツやお菓子があるわけじゃなかったから、ガリガリだったねw

 

その頃は、バカすぎるからかな〜先生にも結構ひどい扱いされてたな〜

 

休み時間に呼ばれて

算数の問題解いてみろって

わからないから固まってると

教科書の角で頭を何度も何度も叩いて

「なんでわからんのだ」

ってその時間は終わる

今思うと

わからないから解けないんでしゃ

教えてやってくれよ〜って思う

 

のちにヤンキーねえちゃんになって

パチンコ屋でその先生見た時は

お前もただのクソやろ〜だな

って思ったw

 

その時の私もクソやろ〜だったけどねwww

 

6歳〜小学校入学まで

年長さんの冬ごろに

岐阜へ引っ越して来た

怖いぐらい静かで寒かった

 

小学校に入学するまでは

プー太郎wな〜んもせずに遊んでた

この頃はお母さんは家に居たのかな?居なかったのかな?全体的に親が昼に家に居た記憶は少ない

まだ、この頃は居たような気がする

 

ただ、暇だったな〜1人遊びはこの頃から身についたんだろうか

 

小学校へ入学

ここから2年生になるまで記憶はなくなる 

覚えてるのは、坂道でずりコケて膝をひどく怪我したって事と

掃除の時間に怖い先輩がいるからいけないって事

その2日だけの記憶

 

ただどのあたりからかは、わからないけど

2年生ぐらいから

たまに思い浮かぶ情景がある

 

ある部屋で

私は横に寝転がってる

知らないおじさんがアソコに薬を塗ってる

 

なんの感情もなくそれは何度も浮かぶけど

親戚のおじさんが薬を塗ってくれたんだって思ってた。

よく考えるとおかし〜なって当分気づかずにすぎていく。

 

そしてもしかして小1あたりの記憶がなくなってたのかな?って事にもその時は気づきもしなかった。

だって無いんだもん

 

 

 

 

0〜5歳さらにつづき

アパートから1人で歩いて

信号のある大っきい道路を渡って

姉の通ってる習字かな?習い事の場所へやってきた

びっくりさせたかった

喜んでもらいたかった

横の草むらで

草やバッタと遊びながら

習い事を終えた子供達が階段を下りてきて

お迎えの車に乗って去っていく

誰も下りてこなくなった

〝まだかな〜〟と思いながらワクワクしながら待ってた

辺りは、真っ暗になったけど

ずっと待ってた

その日は、用事の為習い事を休んでどこかに行っていたとも知らずに。

ま〜結局焦って探しまわって

私はみつかったんだけどね〜w

 

あの頃から人を

びっくりさせたり

笑かしたりするのは好きだったな〜

なんて思い出した

 

ここ愛知県春日井市での思い出は良い思い出として記憶の中にある

 

年長さんの冬だったのかな〜

岐阜へ引っ越す事になった